イノベーションには「ちょっとだけ過剰な権限」が必要だとおもう

ある MTG で進捗を共有したら、別チームのメンバーから「あ、それうちで同じことやってますよ。Private チャンネル招待しますね」と一言。 みたいなことありませんか?ありますよね。なかったら今日の話は終わりです。ありがとうございました。

その瞬間は、同じ悩みを持っている人が知れる、つまり今の仕事により価値があることを知ることができる。 しかし一方で、もし最初から知っていれば、もっと早くゴールに辿り着けたのにという気持ちになったりもする。

別に誰が悪いわけでもありません。Private チャンネルだから検索でも引っかからないし、その存在を知ること自体ができなかった。

この一件のようなことって、見渡すと気に留めないような小さなことまで含めると実は身の回りにかなり潜んでいるものだと思います。 ここから、情報の非対称性が想像の余地を奪うのかもしれない。という話を考えてみようと思いました。

知らないから、想像もできない

組織が大きくなると、多くの場合は誰もが情報の非対称性の中で動くことになります。Need-to-know、知る必要のある人にだけ教える、という原則ですね。 セキュリティ上の理由で必要な場面ももちろんあります。ただ、それが業務全体に適用されすぎると、その副作用としてイノベーションの火種が消えていくんじゃないかと、最近よく考えます。

そもそも「他のチームで何が起きているか」を観測できなければ、「あ、それうちでも応用できそう」という発想がそもそも出てこない。 これは組織内の Observability の問題だなと思います。ログが出ていないシステムの異常を検知できないのと同じで、検索に引っかからない取り組みは、その人にとっては組織の中ではほとんど存在しないのと同じです。 誰かの頭の中や Private チャンネルには存在していても、他の人の探索空間には出てこない。(だから僕はtimesに色々と垂れ流すのが好きなんだけど、これは諸説なのでここでは置いておきます)

往々にして上司というポジションの人は、たいてい部下より多くの情報を持っています。だから「他にこういう選択肢もあるよ」と提案できる。一方で、情報を持たない部下にとっては、選択肢そのものの存在が見えていない。 これ、考えれば考えるほど不公平な構造だなと思います。情報を持つ側だけが選択肢を見ていて、持たない側は選択肢があることすら知らない。 不公平というか、自律を期待する組織にとってはかなり不健康な状態だなと思います。

イノベーションには「過剰な権限」が必要

だから僕は、組織には「過剰な権限」が必要だと思っています。 ここで言う権限は、決裁権とか役職のパワーのことではありません。「他部署の領域に首を突っ込む権利」とか「業務スコープを超えて知る権利」のことです。

たぶんこの権限には段階があります。まず「読める」。次に「質問できる」。さらに「提案できる」。最後に「決められる」。僕がまず欲しいと言っているのは、決める権限ではなく、読めることと質問できることです。 知らない場所には質問すらできない。なんでも聞いて!って言われても、何がわからないのかがわからない。みたいなやつですね。 首を突っ込む以前に、首の向け先が存在しないといいますか。

業務に必要な情報だけを渡されると、自分のスコープの中でしか考えられなくなります。スコープを超えた余白があるから、「あ、これ自分の課題に応用できそう」というセレンディピティが起きる。 「過剰」と書いたのは、Need-to-knowから見た場合に「過剰に見える」レベルの情報開示が、実はちょうどいいと思っているからです。

例えばプロジェクトごとに分かれたSlackチャンネルなんてものは見えていて欲しいし、会社に関わる全リポジトリの権限を全員に渡してもいいと思っているタイプです。本当のことを言えば、評価や給与情報も公開されていていいと思っている。もちろんこれは僕個人の思想で、勤務先や特定の組織に向けた提案ではないですが、そのくらい踏み込まないと「過剰」とは言えないと思うんですよね。 もちろん悪用しないのが何よりも大事で、それが成立しない場合が多いから公開されないのも理解はした上での気持ちです。

余白を渡すだけでは足りない

ただ一方で、情報を全部オープンにすれば誰もがイノベーションを起こせるのか、というと、それも違う。 「嘘を嘘だと見抜けるような人でないと使うのは難しい」みたいな話が本質を捉えているなと、改めて思います。

誰にとっても情報にアクセスできる時代になりました。ただ、自分にとって必要かどうか、それが本当か、大事なのかを見極められなければ、情報はただのノイズに留まります。 組織で「過剰な権限」を渡すときも、構造は同じです。他チームの情報がオープンに流れてきても、自分の文脈で再解釈し、「うちにも応用できそう」と引き寄せる筋力——いわゆる Connecting the dotsができなければ、量だけが増えて混乱するだけです。「情報が多すぎてつらい」と言われるのは、たぶんこの話だと思います。

実際、過去にチーム間が比較的オープンな組織にいたとき、情報があっても誰も自分ごとに引き寄せていなかった場面、結構見てきました。具体と抽象を行き来する筋肉は、情報をオープンにする前にも、した後にも、両方で鍛えないといけないんでしょうね。

ここでマネジメントの役割が出てくる気がします。マネージャーは情報を閉じるゲートキーパーではなく、膨大な情報のなかから「いまの君には、ここが効きそう」と一緒に見極める翻訳家に近い。「全部を見ろ」ではなく、見に行く入口を一緒につくる人——僕の中のサーヴァントリーダーシップには、そういう情報の翻訳まで含まれます。

ただ、これも関係性次第です。信頼がないまま「ここを見ろ」と言えば、命令に聞こえる。一方、見極めの手伝いをせずに情報だけ渡せば、部下は「じゃあ自分で全部見るから、情報は全部オープンにして」と返す。オープンにしたいはずの話が、また閉じたくなる。難しいですよね。書いていて、自分でも答えが出ません。

余白を抱える組織は、混乱もする

もう一つ、無視できないリスクがあります。 「過剰な権限」を全員に渡すと、それはそれで現場が混乱することも多々あります。 え、これなに?なにをしてるの?え、やらなくなったの?いつの話?どういうこと?etc…

他にも、逆に外から他のプロジェクトを見て、急に Issue に偉い人がコメントしてくるとします。「これ、こうした方が良くないですか?」みたいな。 これ、コメントされた側の新人からしたら、悲しいことにちょっと取り扱いが難しいですよね。 「これ、採用しなきゃいけないやつかな?」と迷ってしまう。発言の重みが、肩書きで決まってしまう瞬間がどうしてもあって、誰でもツッコメるのであれば、もちろんそんなツッコミに備える必要もある。

だから、「過剰な権限」を渡すなら、お作法もセットで整える必要があると思っています。 シンプルには「これは一案であり、採用は任せます」と言葉で明示するルール。意見と意思決定を分けて扱う文化。「ああ、これは参考情報としての意見なんだ」と判断できる余地ができます。 「誰が言ったか」より「何を言ったか」で議論できる地盤。それでも忖度が働いてしまうのが社会人というものなのでこんなに単純ではないけど、そういう気持ちを持っておくことはとても大事だなと思います。

それと、Private にしたくなる気持ちも分かるんですよね。未確定の話を広く見られると余計な説明コストが増えるし、関係者だけで荒削りな議論をしたい時もある。人事評価のように、最初から閉じるべきものもある。だから「全部 Public にすれば解決」とは思っていません。ただ、閉じなければいけない理由が明確にないならPublic。という軸足の置き方の方が、個人的には好きだなと感じています。

結局、これは僕も問いとして抱えている話

ここまで「過剰な権限が必要」と書いてきましたが、正直、僕自身もこの主張を自分が完璧に実装できる気はしていません。

例えばBufferは給与が全社員分公開されていますし、GitLabはpublic by defaultで社内ハンドブックを世に晒している。 きっとやれないことはないんですよね。それでも多くの組織が「ある程度の Need-to-know」に落ち着いているのは、結局のところ混乱コストが大きいからなんでしょう。リスクヘッジである。

組織として今どちらに重きを置くのか。効率と変化の両方を求めたくなる気持ちは分かるけれど、それを現場に丸投げするとどっちつかずになるんだろうな。 だから、組織が「うちはイノベーションを取る」と腹を括ったなら、過剰な権限の開示と、それに伴う混乱を引き受けるべきだと思う。逆に「うちは効率を取る」と腹を括ったなら、それはそれで全然いい。中途半端が一番つらい。 「過剰な権限が必要だ」と言いたいけれど、それを受け止められる組織を作るのは本当に難しい。これは結論ではなく問いとして、自分でも抱えています。 これからも向き合っていかないといけないな、と思いました。